世の中には何かと群れる人が多いわけです。学生時代は同級生、社会人になると何らかのコミュニティーに属し、いつも誰かと群れている。
でも、群れることは自分を失うことと同じです。
私は学生時代、学校をあまり楽しめませんでした。一番の理由は群れなきゃいけない雰囲気があるからです。小学性の頃はまだそれぞれの個がくっついたり離れたりして遊んでいたように思いますが、高校あたりになると群れが1つの個であるかのように個のない世界でした。
そういう空気に馴染めず、表面的に浅く広くの付き合いをしていたように思います。
群れにはシンボル的なものはあるけども、その中にいる一人ひとりにシンボルはない。そういうのは登校から下校までいつも誰かと一緒にいることで、だんだんそうなっていくんじゃないかと思います。
初めて社会人となった18歳。私は開放感でいっぱいでした。あの感覚は今でも忘れられません。業界的に誰かと一緒に何かをやる仕事ではなく、みんながみんな体1つで生きている人が多いので、そういうこともあってか、こんなに自分の夢を追求する行動をとってもいいのかと。外の世界ってこんなに空気が美しいのかと思いました。
群れることで不安や寂しさを紛らわせられるのかもしれないですけど、それ以上にデメリットが大きいわけです。群れないことのメリットは数え切れないほどある。
・自分のステージが上がっても嫉妬されにくい
・周囲に合わせる必要がない
・嫌なことは嫌と言える
・白いものを黒いと言わなくていい
・リミッターを被せられることがない
・好きなことがやれる
そういった意味で私は学生時代も社会人になってからも好きなことをやって生きてきたほうだと思います。それはひとえに人と群れなかったことが一番の要因ではないかと思います。
なので、社会に出ても同級生とつるんだり、どこかのコミュニティに入ろうとする人の気持ちがよくわからないんですね。今何かと問題を起こしつつも根強く人気があるオンラインサロンもまさに時代を物語ってます。なんでお金を払ってまで人とつるむのか、これは理解に相当苦しむ事案です。
もし自分がオンラインサロンに入るとしたら、自分のビジネスに活かせる材料集めとしてであって、主催者を含め誰かと繋がろうという考えはないですね。だって、サロンに入ったらその場の空気というのがあるはずなので、それに従わなきゃいけないじゃないですか。主催者には主催者の価値観がある。それはいい。でも、その価値観を自分にインストールしようとか近づけようとかっていう気持ちはまるでない。
もし誰かが私に対し、お互いにとって対等にメリットのあるビジネスアイデアを持ち込んでくれて、なおかつ自分がやりたいことと一致したらやるかもしれません。でも、そういう話がない中で人脈を広げようとはまったく思わない。それをしてもただ個が失われていくだけですし、そもそも楽しくないですから。自分のやりたいことがわからない、そういう大人が増えたのはそういうことです。
デザインプラスも群れではなく、個の集まりにしたいんですよね。
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