先日、「仕事と遊びの関係」という記事を書きました。今日は、遊びとはいったい何なのかという話を少し。
多くの人は、なんとなく余暇を楽しむわけです。家族でショッピングモールへ行ったり、遊園地に行ったり。レジャーと言えば「これ」みたいな遊びをするわけですね。ショッピングモールも遊園地ももちろん楽しいところなんですが、缶コーヒー片手に散歩するのだって楽しいわけです。問題なのは、楽しみ方の”型”にはまることです。
楽しみ方の”型”にはまるということは、受動的に生きていることと同じです。エネルギーを消化しているようでただ消耗しているのです。一時は楽しんだ気になりますが、心の奥底には空しさが残るのです。現代人の多くがはまる罠といえます。ここで岡本太郎の言葉を紹介したいと思います。
たとえばプロ野球を見にいく。結構な楽しみです。いいチャンスに、ホームランが出る、また、すばらしいファイン・プレー。みんな大喜びです。胸がスーッとします。
だが、それがあなたの生きがいでしょうか。
あなたの本質とはまったくかかわりない。そのホームランのために自分の指一つ動かしたわけじゃなし、スタンドでの感激はあっても、やはりただ見物人であるにすぎないのです。まして、テレビでも見ているばあいはなおさらでしょう。ひとがやったこと、あなたは全人間的にそれに参加してはいない。けっきょく、「自分」は不在になってしまう。空しさは、自分では気がついていなくても、カスのようにあなたの心の底にたまっていきます。
楽しむつもりでいて、楽しみながら、逆にあなたは傷つけられている。言いようのない空しさに。どんなに遊んでも、そのときは結構たのしんでいるようでも、なにか空虚なのです。自分の生命からあふれ出てくるような本然のよろこびがなければ、満足できない。自分では知らなくても、それは心の底で当然欲求されているし、もし、その手ごたえがつかめれば、健全な生活のたのしみが、自然にあふれでてくるはずです。
※出典『今日の芸術- 時代を創造する者は誰か』1954年
生きがいとは何なのだろう、と考えさせられる言葉ですね。
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